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津波に呑まれた神社の森の再生 ~ 宮城県 山元町青巣稲荷神社 ~

震災によって切れ切れになってしまった地域の絆。
それをつなぎ止める拠り所として地域の氏神さまが注目されました。
社殿だけでは足りません。
鳥居だけでも足りません。
人々が集った境内の空間を再生することが求められました。
その空間には鎮守の森が不可欠です。
被災地にて鎮守の森の再生に挑戦しました。

 

[高野義智  (問合先)e-mail:  y-takano@especmic.co.jp


[2015/6/1]

 

植樹から2年が経過しました。
二度の冬を乗り越え、雑草との競合を勝ち抜いた苗木は樹高2m近くに育ち、社殿が見えなくなってきています。
まもなく、森は独り立ちします。
植樹祭以来長らく草取りをはじめとする育樹作業を行い、ここまで見守り続けてくださった氏子のみなさんのご苦労に頭が下がります。

[高野]


[2014/8/8]

 

マルチング材として苗木の足元を覆っていた稲わらは1~2年で分解されて苗木の肥料 になります。これに合わせて雑草の繁茂が激しくなります。
厳しい冬を耐え抜いた苗木に雑草の競合が襲いかかります。
雑草の届かない樹高まで育ってしまえば物ともしない苗木たちですが、いまはちょうど苗木の樹高と雑草の草丈が同じくらいです。
「負けるな!」、声を掛けながら除草作業に没頭しました。

[高野]


[2014/4/2]

 

初めての冬を乗り越えた鎮守の森です。
多くの苗木が大なり小なり傷んでいました。
葉先が凍害に遭ったもの、寒風に葉を引きちぎられたもの、それでも根は生きています。
ほっと胸を撫で下ろしました。

[高野]


[2013/10/8]

 

半年ぶりに訪れた神社の森は見違えるほどに成長していました。
栄養分に富んだ豊潤な土壌を整備したので、雑草にとっても居心地が良く、競合が始まっていました。
まもなく冬が訪れます、がんばって耐え抜いて春を迎えて欲しいです。

[高野]


[2013/5/20]

 

植樹されたばかりの幼い苗木たちを五月の風が優しく慰撫しています。
これからみちのくの厳しい冬に備えて、苗木は体力を付けるべく花釜の地に根を下ろし、葉を茂らせます。
これから森が独り立ちするまでの3年余は草取りを中心とした育樹作業が必要です

[高野]


[2013/4/29]

 

あちこちで再会を喜ぶ声が交わされる中、植樹祭が開催されました。
仮設住宅などから駆けつけた地元の氏子の皆さんに加え、全国からボランティアが集まり、総勢350人余の人々の手によって2,286本の苗木が植樹されました。
ご神木のタブノキも嬉しそうです。

[高野]


[2013/4/28]

 

およそ一ヶ月に及ぶ、基盤造成工事が完了しました。
鎮守の森を支える豊かで柔らかい土壌が整備されました。
津波によって埋もれていたお堀も再生されました。
社殿も建て直され、いよいよ明日は植樹祭本番です。
久しぶりに地元の方々が神社に集まります。

[高野]


[2013/3/30]

 

津波の衝撃には耐えることができた社殿後背林の木々ですが、津波堆積物による塩害、地盤沈下に伴う地下水位の上昇などによってご神木のタブノキを残してすべて枯死してしまいました。
地元では「アオキ」と呼ばれていたタブノキですが、鎮守の森の主要構成種です。
津波の衝撃に耐え、環境の変化にも耐え、屹立するタブノキは青巣稲荷神社の化身として被災した方々を勇気づけました。
いよいよ鎮守の森の再生が始まります。

[高野]


[2011/3/11]

被災前の在りし日の青巣稲荷神社

被災した神社の森

 

仙台湾沿岸には「長谷釜」「相野釜」など「釜」の字が付く地名が数多くあります。
これは製塩業を営んでいた名残だそうです。
青巣稲荷神社がある宮城県亘理郡山元町の花釜地区でも古くから製塩業が行われてきました。起源を1,200年もさかのぼることのできる当神社の近隣は当時から集落が築かれ、地域と神社とが深く結びついてきました。
東日本大震災で当地を襲った津波は近隣の住宅を残らず流し去ってしまいました。
現在、付近一帯は「居住禁止区域」に指定され、住むことはできません。
仮設住宅にばらばらになってしまった地域の人々の絆の拠り所として、鎮守の森の再生を皮切りに神社の復興が始まりました。

[高野]

Google ストリートビューで観る今の姿

概要

植栽日時 2013年4月29日
植栽面積 539㎡
植栽数量 21種類 2,286本
 事業主体 青巣稲荷神社

 

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