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被災した鎮守の森の再生 ~ 宮城県 山元町八重垣神社 ~

東日本大震災によって失われた鎮守の森を再生させる取り組みをお手伝いしました。
未曾有の大災害に対して、小さな苗木を植える行為はささやかかも知れませんが、その復興にかける意志は未来への希望を見据えています。
津波堆積物、残留塩分、居住禁止区域での森づくり、厳しい東北地方の気象条件。
さまざまな課題が立ちふさがりました。
しかし、着実に森は育ちつつあります。

 

[高野義智  (問合先)e-mail:  y-takano@especmic.co.jp


[2020/06/24]

植栽されて8年が経ちました。
木々はすっかり大きくなり、鎮守の森として境内を囲んでいます。
境内は風が穏やかになり、静謐に包まれています。
もう一人前の森です。

[高野]


[2017/8/2]

植樹から5年がたった若い森を鳥の視線で撮影しました。
被災した本殿の建築が進んでいます。
復興の進む被災地ですが、周辺に居住することはできません。
森は着実に大きく育ちつつあります。

[高野]


[2015/6/1]

 

植栽されて3年が経過した苗木は防風柵を越えるほどに大きく成長しました。
周囲に住宅が無いため、継続してのメンテナンスが心配されましたが、氏子の方々が代わる代わる除草の世話をして下さったことが功を奏したようです。
森が独り立ちするまでもう少しです。

[高野]


[2013/10/8]

 

植樹祭から1年3ヶ月が経ちました。
2012年の冬が厳しい寒さとなり、多くの苗木が傷みました。
地上部がすっかり枯れ上がり、根元からのひこ生えから復活しつつある苗木も数多く見られます。
東北地方という植物には厳しい環境での森づくりです。
三歩進んで二歩下がる。
それでも着実に一歩一歩成長を続ける苗木のたくましさを感じました。

[高野]


[2012/7/19]

 

毎年4月初旬に訪れる寒の戻り、このとき秒速10mを来れる地吹雪が吹き荒れます。
苗木の体力がつくまでの数年間、防風柵で守ってあげます。

[高野]


[2012/6/24]

 

氏子のみなさん、近隣住民の方々、そして全国から集まったボランティアの力を借りて、植樹祭が行われました。
500人を越える参加者の手によって、3,238本の苗木が植樹されました。

[高野]


[2012/6/23]

 

植樹祭の準備が整いました。
仮設住宅から毎日準備作業のために通ってきてくれた氏子のおばあちゃんや軽トラで駆けつけてくれたおじいちゃん笑顔が忘れられません。
復興の号砲となる植樹祭になることを祈らずにいられません。

[高野]


[2012/5/29]

 

植栽地の基盤造成工事が始まりました。
植栽予定地は津波堆積土が堆積しています。
すこし掘るだけで、食器やCD、カセットテープ、ビニルハウスの破片、靴下などが出てきます。
改めて被災地であることを痛感しました。
現場を手伝ってくれるのは氏子の造園屋さんです。
自身も被災しているのに力を貸してくれました。

[高野]


[2011/11/29]

コンクリート製の鳥居が根元から鉄筋もろとも引きちぎられていました。
神社を襲った津波の威力が図り知れます。
鬱蒼としていた鎮守の森はかろうじて耐えることの出来た数本のクロマツを残して失われました。
来春の植樹祭を目指して、鎮守の森の再生が始まりました。

[高野]


[2011/3/11]

被災前の在りし日の八重垣神社

被災直後のようす

 

八重垣神社は宮城県亘理郡山元町笠野地区にあります。
夏の例祭が仙南地方の三大宵祭りに数えられ、地元では「お天王さま」の愛称で親しまれる地域の氏神さまです。
しかし、東日本大震災で高さ10m近い津波にのみ込まれ社殿を含め壊滅的な被害を被りました。
震災後近隣一帯は「居住禁止区域」に指定され、住むことはできません。
しかし地域の絆の拠り所として、神社の復興が進められることになりました。
復興は鎮守の森づくりから踏み出しました。

[高野]

Google ストリートビューで観る今の姿

概要

植栽日時 2012年6月24日
植栽面積 766㎡
植栽数量 21種類 3,238本
 事業主体 八重垣神社

 

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